萌え袖と安心感の話
こんにちは、ハルです。
最近おしゃれな若者の中で『萌え袖』なる流行があります。
手がすぽっと袖に隠れてしまうあれを萌え袖と呼ぶ訳なのですが、なんであんなものが流行るんだ?という方も少なくありませんね
乃木坂46でセンターも務めたことのある人気者、斎藤飛鳥さん
萌え袖がかわいいです
知らないイケメン
やっぱりかわいい感じになります
さて、ここからはギアを入れて哲学者であり私のファッション論の基礎である鷲尾清一さんの意見を参考にいきます。
著書の中ではヨウジヤマモトの袖の長いジャケットを例にあげながら
手を使う際にいちいち袖をまくらないといけなくて、それが時間の捉え方を我々に示している
と指摘。
そういえば最近ストリートで萌え袖が流行る前から、漫画やアニメでもたびたび使われていましたね。
あと、男子たちのフェチの中でも上位であろう、ブカブカのシャツを着た女の子。これとも絡んでくる要素がありますね
自分の体範囲でなく服に体を埋めることの安心感。これは布団に入る時に近いのではないかと想像します。
父親のあぐらにすぽっとうまる子供や動物なんかも例にあげられるでしょう。
自分以外の存在の中に自分を埋め込む際の、ちぐはぐな安心感。そしてその姿を見ることで想起される庇護の気持ち
これが萌え袖の魅力だとおもいますね。
でもこれが安全に楽しめるコンテンツであるのはもう終わりかけています。
なぜなら、強欲な獣たちが萌え袖をあえてすることで気を引こうとして、かえって気持ちを萎えさせるという一連の退廃が始まっているからです。
どの流行もこんなプロセスがあります。モードはいつも、強欲な美への関心のないものに殺されていくのです。。。