成人の日ですね
新成人の方々、おめでとうございます。長い人生で3歳、5歳、7歳から時間があいて20歳。お祝いとされる1つの節目でございます。
七五三は死亡率もたかい乳幼児が無事成長することへのお祝い
成人式は名の通り、成人した人へのお祝いです。
男性は袴、もしくはスーツ
女性は着物を着るわけですが
なぜ女性ばかり伝統を重んじた正装をするのでしょうか。
朝も早起きして豪奢な着物を着つけ、髪を結ってもらいに…
これは伝統のせいというよりも、むしろ女性用スーツが女性の心を満たせていないことが原因でしょう。
豪華な色柄は現代においても富の象徴であり、着させて貰えないとなると家庭について思いを馳せてしまったりもします。
衣服は同一化によって身分を隠すことに成功しているだけに、負の輪郭もはっきりとさせてしまうのです。
それだけでなく、両親の愛情などが目に見える形で必要なのです。この女性平等が進んだ社会においても、庇護を受ける存在として自分を認識しているということでしょう。
着物の形は筒状でドスンと、押しても動かなそうなのがいいですよね。
この変化がおおい時代に、歴史の重みとシルエットの重みがオーバーラップされて受け入れられてるのかもしれません…。
あの華やかさと不動っぷりが重なった時に、私が思い出すのは太陽です。
永遠性があってなんてヒロイックなのでしょう、しかも帯をほどくと太陽は崩れ去るという甘美なオマケもついています。
小足で動く姿は女性的ですし、こう、攻防そろった服装だと言いたくなってしまいます。あんなにどっしりした太陽が、ちょこちょこっと動くなんて、フェチとしか言いようがないですよね。
当然これは批判でもなんでもないです。そりゃ貰えるものは貰いたいですもの。ただでダイヤを貰えるなら、身につけなくても貰いますしね…。
一方男性のスーツはもはや国の伝統衣装さえも駆逐するだけの知性と品格、そして何より利便性があり、この面では優れた服装だといえると思います。
新成人のテカテカした生地を見るとなんだかとても悲しくなります。そんな服のレベルまで画一化されなくてもいいじゃない…
みんなアオキとかアオヤマとかのテカテカ可能性スーツ(よく伸びる)だもんなあ…スーツに機能性求めるくらいならジャージ着ちゃえばいいのにね…
でも、服なんてなんでもいいぜ!っていう男ならではの不器用さというかおおらが見えて、それはそれでいいねえって気持ちです。
出先で書くにはちょっと複雑な話でどうもまとまりがなく読みづらくてすみません…。
電車で暇なのです。今日は目白にあるスペシャルなショップのセールに向かいます。
写真は全く関係ないので恐縮ですが、美味しい串揚げやさんでみつけた、衣に生えるきのこです。