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非生産性のファッション分析

僕の嫌いな伊勢丹型おじさん

 

こんばんは、ハルです。

今日は比較的あったかく感じます

 

 

さて、こんなに素敵な成人式の日に伊勢丹型おじさんのインスタを見つけてしまい、こう、思ってることを書きたくなり緊急で書いてます

 

 

伊勢丹型おじさんとは

伊勢丹のスーツスタイルをコピーして、金にものを言わせた腕力つよめのスタイルを作り上げる人のことです。

 

 

僕はファッションが地位なんてもの現さないで欲しいので、はっきり言うと気にくわないのです。

だって、服を着る喜びっていうのは、人と違う自分を確認する行為であり、自分のなりたいものへのリスペクトがあるべきです。

ブランドっていうのはそのリスペクトの最たるものでして、それを着るには理解と品格が必要だと思うんですよ。。

 

つまり、持ってる高いロレックスとかを、ベルベストのスーツに合わせて仁王立ちする写真なんて嫌悪感以外なにがあるのでしょうか

 

レックスにもベルベストにもなんの罪もないです。ただ、成金のようなブランドの合わせに、いまどきエサイタリア風の某仕掛け人によるちょいワルクソピチピチな服装ってのは下品極まりなく映るのも仕方がないと思うんです。

元々クラシコイタリアは、ハグをして挨拶をしてヴェスパに乗るイタリア人のため、Vシェイプはしっかりありながら、袖周りと腰周りには適度なゆとりがあります。

タックパンツをイタリア人は好みますね。

 

ブランドの理解が、リスペクトがしっかりしているならこんな失敗はまずありえない。

若い人ならこれくらいしても理解できますが、おじさんでは、あるべき寛容の心なんてものは発揮できません。

 

それにしても、雑誌のスーツ特集などの下品さは一体なんなんでしょうね。

ものはいいけど振る舞いや人選や髪型がだいたい気障で、なんか嫌味なんです。

 

つくづく品格とは知性のことだと思います。粋なスタイルをもつことのほうが、エドワードグリーンを磨くことより価値があると思いませんか?

ねえ伊勢丹信者のおじさんよf:id:haru6665:20170109200230j:image

 

 

 

成人の日ですね

新成人の方々、おめでとうございます。長い人生で3歳、5歳、7歳から時間があいて20歳。お祝いとされる1つの節目でございます。

 

七五三は死亡率もたかい乳幼児が無事成長することへのお祝い

成人式は名の通り、成人した人へのお祝いです。

 

男性は袴、もしくはスーツ

女性は着物を着るわけですが

 

なぜ女性ばかり伝統を重んじた正装をするのでしょうか。

朝も早起きして豪奢な着物を着つけ、髪を結ってもらいに…

 

これは伝統のせいというよりも、むしろ女性用スーツが女性の心を満たせていないことが原因でしょう。

豪華な色柄は現代においても富の象徴であり、着させて貰えないとなると家庭について思いを馳せてしまったりもします。

衣服は同一化によって身分を隠すことに成功しているだけに、負の輪郭もはっきりとさせてしまうのです。

それだけでなく、両親の愛情などが目に見える形で必要なのです。この女性平等が進んだ社会においても、庇護を受ける存在として自分を認識しているということでしょう。

 

着物の形は筒状でドスンと、押しても動かなそうなのがいいですよね。

この変化がおおい時代に、歴史の重みとシルエットの重みがオーバーラップされて受け入れられてるのかもしれません…。

あの華やかさと不動っぷりが重なった時に、私が思い出すのは太陽です。

永遠性があってなんてヒロイックなのでしょう、しかも帯をほどくと太陽は崩れ去るという甘美なオマケもついています。

小足で動く姿は女性的ですし、こう、攻防そろった服装だと言いたくなってしまいます。あんなにどっしりした太陽が、ちょこちょこっと動くなんて、フェチとしか言いようがないですよね。

 

 

 

 

 

 

当然これは批判でもなんでもないです。そりゃ貰えるものは貰いたいですもの。ただでダイヤを貰えるなら、身につけなくても貰いますしね…。

 

一方男性のスーツはもはや国の伝統衣装さえも駆逐するだけの知性と品格、そして何より利便性があり、この面では優れた服装だといえると思います。

 

新成人のテカテカした生地を見るとなんだかとても悲しくなります。そんな服のレベルまで画一化されなくてもいいじゃない…

みんなアオキとかアオヤマとかのテカテカ可能性スーツ(よく伸びる)だもんなあ…スーツに機能性求めるくらいならジャージ着ちゃえばいいのにね…

 

 

でも、服なんてなんでもいいぜ!っていう男ならではの不器用さというかおおらが見えて、それはそれでいいねえって気持ちです。

 

 

 

 

 

出先で書くにはちょっと複雑な話でどうもまとまりがなく読みづらくてすみません…。

電車で暇なのです。今日は目白にあるスペシャルなショップのセールに向かいます。f:id:haru6665:20170109143706j:image

写真は全く関係ないので恐縮ですが、美味しい串揚げやさんでみつけた、衣に生えるきのこです。

スーツの持つ性別の限界

 

こんにちは、ハルです。

みなさんはスーツをきていますか?きっと着たことない人もいるでしょう。

 

でも、なんでみんな大人になるとスーツ着ちゃうんでしょう。スーツ着ると大人っぽく見えて、女性はそんな男性を見て萌えたりするんでしょうね

 

記号性の話をします。赤信号はとまれで、青信号は進行可能。赤は危険で青は安全。

女の子が生まれた瞬間から何かの圧力で赤い服を着せられて、男の子が青い服を着せられちゃうの、わけわからなくないですか??

 

女の子も男の子も生まれた時って性別正直よくわからなくないですか?

 

でも、成長すると体つきが変わりしぐさが変わり声も変わるとな・・・

 

 

結論、後天的にみんな女らしさ、男らしさを手に入れるわけですよ。

誰が決めたか知らないけど、小股で走ると女らしく見えるわけです(この理由は思ったより簡単ではないかと推測しています)

 

スーツってなんだか、働く人間のレッテルがビンビンで、

きっと必死に働いていて

嫌なことも我慢したり

成果を上げるために努力したり

その匂いがスーツという衣服にしみ込んでいるのです。

 

つまり、スーツが好きというかスーツを着る人の幻想が好きというのが正しいと思うのです。

 

 

「だからどうした?俺にはかんけいないぜ!」

 

 

 

私はそうは思いません

 

 

だってモテたくないですか?

なるべく自分のイメージは管理しておきたくないですか?

かっこい人間でありたいじゃないですか

 

さあみなさん、疲れた顔をしながらにっこり笑って、その首に絞めた、根源を見た目にしか持たないカラフルな布を緩めるのです。

そして、言いましょう。「仕事終わりのビールは最高だねーーー!」

2017年にやりたいこと

今週のお題「2017年にやりたいこと」

 

まずですが、現在大学四年生で卒業間近だし卒業はしないとまずい。

 

1,2年生までは真面目に単位をこつこつとってきたんですけども、どういうわけか「パーッと遊ぶ暇な時間がほしい」と思いたち、3,4年の大切な時期に遊びすぎてしまいました。

とはいえ、過去にない大切な時間だったからあまり後悔はしてないけども、本当に後悔しないでいられるのはやっぱり卒業できてからだよなあ・・・

 

これは嘘ではないけども、大学に入ってから初めて勉強が楽しいと感じるようになりました。文学部というまったく生産性がなく、やりたいことを純粋にやれる学部、最高。

 

こう、何かの歯車になるための、目的のある勉強は辛いし楽しくないです。資本主義の犠牲に知性がなるのはどうなのよねえねえ。っていうと多くの人に反感かいそう。まあいいか

 

 

卒業のあとは就職ですね、私は就職もやりたいことをやるっていうタイプの人間になろうと思いまして、遠く離れた、現住所から3時間ほど新幹線で乗って30分ほど違う電車に乗って10分ほど歩く職場に就職することとしました。

一人暮らし、社会人デビュー、友達0

 

2017年にやりたいこと、それは、あまりに平凡でつまらない安定した暮らしです。

あとお金にどうにか余裕を見つけてde bonne factureの服をもう少し買い集めたい。僕はあれになりたい、ゲンズブールとかアラン・ドロン

 

そういえば昔、友人に「もてたいならアラン・ドロンみたくなるといいよ」っていわれたことがあります。いうよねぇ

 

あとラジェももっと買いたい。ラジェプラタープシン。まだ日本じゃ出回ってないでしょう・・・ものすごくハイクオリティーなシャツ作ってます。

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洗いざらしですみません。けど、このめちゃくちゃな数のピンタックはやばいとしか言えず、菊池成孔的に言うとキモいに属するレベルでやばいシャツブランドなんです。

しかも気取った形をしておらず、すこし抜けた感覚がかわいいです。タックは贅沢さを刷り込んでしまうから、形は少し抜けたボックスがいいバランス。気取らずさらっと着たいなあ

 

 

 

裾の話

ズボンの裾には沢山の魅力が詰まっているのだけども、不思議と共感されないです。

 

 

細さや太さ、長さまでがアンダーコントロールにあって、おしゃれな人は必ず気にかけているはずなのだけど、この魅力があまり世間的に力を持っていないことがどうも不思議だなあと思います。

 

太めのパンツだと足の細さをみた時に、「え?それでこんな体を支えられるの?」という不思議な気持ちになります。

 

自分の体に沿わないものを着た瞬間に、自分の体が拡張されて少し大きな気持ちになるみたいなんだけど、中身とのギャップをみた時に、何か見てはいけないもののような不気味さが、その人の隠したかった生身の身体が現れるのでゾクゾクさせられます。

 

むしろぴったりしたパンツだと、「見なさいこの美脚を!」というメッセージにも見えて、その人の足に対する自信とかが伺えて、かわいいなあと感じてしまい、甲乙は結局つかないのでした。

 

 

僕が服を好きなのは結局こういう人の気持ち的なものが外に出てきてるのを見れるからで、その人の言葉より深い意味で相手を知れる気分になります。

 

ところで、最近は切りっぱなしの裾が流行っているけれど、あれは規格からはみ出したいと思ってるんじゃないでしょうか?

最近世界はガチガチだし、普通でいてもつまらないから、良くも悪くも振り幅が欲しくて、裾がちぎれちゃった。

ちぎれた裾にはチェーンステッチが施されていて、洗うとこう、キュルキュルっとアタリが出るはずだったのに、その未来ごとちぎっていて、瞬間的な気配がする。

こう、どうにでもなれや!っていう気概?ヒッピー的なノリがあの裾にはありますよねえ

 

ちなみに僕の今履いてるboncoura のホワイトデニムは、丈が短いのを隠すために2回折り曲げて履いてますが、結構短くて普段風が当たらないところまで風が当たって、なんだか隠したい気持ちに駆られています。

同じサイズのboncoura のブルージーンズを持っていて、大丈夫だと思ったのに、なんで短いの、丈…

 

 

このboncouraっていうジーンズが有名なブランドは、僕がデニムオタクになるきっかけなんですけど、名前が

 

1.フランス語のボンクラージュ。頑張れって意味みたい

2.ぼんくらっていう、あの、悪い意味だけどちょっとかわいい感じの日本語

がかかってるって、何かで読んだ気がします。

 

ぼんくら君に対して、がんばれ!って言う感じ、デニムのタフさとオーバーラップされてすごく心地いいなあと思います。

僕としては、ジーンズの良し悪しは履いていった時のコットンの粘りなんですけども、この面でも非常に良しなので、皆さん履き続けると手放せなくなると思いますよ。

 

裾が関係なくなっちゃった。